息子にカッコイイと言われたくてサラリーマンはマラソンを始めた。
新米イクメンブロガーのマスミです。
息子が産まれてから圧倒的に変わったことがあります。
運動もしない、休みの日もゲームばかり。
そんな男も息子にカッコイイと言われたいがためにマラソンを始めました。
じつは僕は、自分の父親をカッコイイと思ったことは一度もありません。
複雑な家庭環境も影響して、一度も尊敬は出来ないまま、大人になってしまいました。
ところが、自分に子供ができて気付きました。
子どもにそんな風に思われるのだけは絶対にイヤだと。
学生時代もブラスバンド部にいたくらい、運動からは程遠い人生。
そんなぼくでも、今では月に100キロのマラソンをしています。
人が変わるのはカンタンなのかもしれない。
今回はそんな変化についての記事です。
ぼくは父親を尊敬できなかった。
両親が離婚して、父親に引き取られてからのぼくの人生はどん底でした。
ゲームだけをして、アニメを見て、会話もせず、口を開けば「勉強しろ!」の一点張り。
きっと当時のぼくのことを、父親は何も知らないだろう。
それくらい会話なんてなかったし、想い出に残るようなものもなかった。
そのままぼくは家出をして、母方の祖母の家に引き取られる人生を送った。
そんなぼくが家族を持った。
言えることは1つ。
ぼくの父親のようにはなりたくない。
子どもに尊敬されないような、ダサイ父親には絶対にならないと誓った。
でも逆にカッコイイ父親ってなんだろう?
考えて考えて気付いたのは、ぼくが憧れる父親像を目指せばいいということ。
腹も出てないし、子どもの選択肢も削らず、いつでも笑いが絶えない…そんな家庭。
じゃあ痩せよう。たったそれだけの理由で、ぼくはマラソンを始めた。
なぜマラソンだったのか?
正直、スポーツは何でもよかった。
でも他の人が必要だったり、時間に影響されるスポーツは、家族の時間を削るので絶対にしたくなかった。
じゃあ早朝にできるマラソンがいい。たったそれだけの理由だった。
ただ痩せる。それだけじゃ続かないのは、人生の経験で理解している。
だから、そのままマラソン大会にエントリーしてみた。
それが昨年(2016年)の話だ。
とりあえず10キロを走ってみた。
まともな練習は一週間しかしてない。それでも完走できた。
次はハーフマラソンに挑戦してみた。今度は練習もしっかりした。完走した。
100メートルが18秒台という運動音痴のぼくでもやれば出来るんだと感動した。
今では朝5時に起きて、月間で100キロを走りながら、秋のフルマラソンに向けて調整をしている。
何でもトライする背中を見せたい。
何もしないことはカンタンだ。
仕事と家庭だけをやれば、毎日はじつにあっさりとクローズする。
ところが、休みの日に家で寝てる父親を、ぼくはダサイと感じていた。
子どもに一生懸命仕事してるんだな…、と感じさせる父親を恥ずかしいと思っていた。
それなら何にでもトライしてる背中を見せていたいと思う。
ぼくはぼくがマラソンを始めるなんて夢にも思わなかった。
ましてやそれが楽しいと思ってるなんて、奇跡だと思えるほどだ。
この感覚は子育てにも役立っている。
たとえば子どもが何かにトライして失敗したとき、それを叱るのか褒めるのか。親からすれば難しい場面だ。
最近、我が子はつかまり立ちをしてよく頭らから転ぶ。
でもそれをダメだと叱るべきなのか。
トライはいい。
トライはいいんです。
何もやらないことで、結果的に諦めていくよりも、ぶつかったことで諦めるならいい。
その失敗とトライの数が人生の魅力であってほしい。
そう思える子どもになってほしいと願っている。
息子にかっこいいと言われたい。
息子にカッコイイと言われたら、ぼくはニヤニヤしてしまうだろう。
今でも家に帰ってきたときの、クシャクシャの笑顔をしてくれるだけで、冗談でもなんでもなく、ぼくはどんな仕事も頑張れるほどだ。
息子にかっこいいと言われるには、やっぱり自分が努力をするしかない。
人が変わるのに、難しい理由はいらないんですね。
息子にかっこいいと言われたい。
たったそれだけのことでは人は変わる。
人間は単純でいい。
マスミ。